BCLについてあったこと、感じたことなどを日記的に綴りました。
1/13 昨日~本日に掛けて、6回目となるTDXC Conventionに参加した。プレゼンの部は6人のプレゼンターが力の籠ったプレゼンを準備下さり、バラエティに富んだ発表を楽しむことが出来た。
・集合時間はバラバラだったが、マイカー組の協力により皆さんタイミング良くピックアップして下さった。先発隊も手際良く動き、ペディ会場でのアンテナ設置もバッチリ決まる。それに続く夕方からの会食、オークション、宴会の部も、面白おかしい馬鹿話だけでなく高尚な勉強になる話もし、充実した時間を過ごせた。リアル参加が叶わなかった方々もオンラインで参加下さり、大人数で一体感が感じられるイベントだった。
・ラジオの方は日付が変わる少し前から聞き始めたが、中波DXに適さない太陽活動活発期にも関わらず、フィリピンとオーストラリアが良好で大いに楽しめる。お陰でリアルタイムに聞いてしまい、寝不足で終わる。
・翌朝朝食タイムには今年もくりもっちゃんが駆けつけて、昨晩の振り返りやオークションの品の受け渡しなどを行う。そして9時に解散。また来年も楽しみたい。
1/11 以前から関心があった下記の記事を入手し読む。文化放送は今でも放送されている在京民放だが、その前身は宗教放送を目指した「財団法人日本文化放送協会」であったことを最近知った。著者である立教大学教授井川充雄氏は昔のBCLブームについて書かれた記事をいくつか拝読していたので以前から知っていたが、今回も世界的には一般的である宗教放送局が日本では何故認められなかったのかなど興味深いテーマだったので、読んでみたかったのだ。
・実際日本文化放送協会は宗教局にはなれなかったし、運営も上手く行かず設立後4年で新たに設立された「株式会社文化放送」に経営が引き継がれることになる。宗教局が認められなかった当時の論拠は理解出来たが、その後の運営が上手く行かなかった部分については、その事情についてサラっと触れているだけである。しかしとても面白かったし、知的好奇心を満たしてくれる。またこうした記事は折に触れて読んでみたいと思う。
1/1 正月は嫁の実家で過ごしていたがスキーにも行かず時間もあり、昨日・本日とAmazonのKindleでラジオライフのバックナンバーを読んで過ごす。同誌の創刊は1980年6月だが、翌年11月までは隔月刊の発行だった。その後毎月の発行となるが創刊当初はその名称に相応しく、まさにラジオの雑誌であった。国内民放局、番組、DJ・アナウンサー紹介、BCL記事、DXペディションや受信機レポートなどが中心で、中には本格的な海外MW-DXの記事まである。アクションバンド系記事も一部にはあるが主流ではない。
順に創刊号表紙(表/裏)、ハワイにあった日本語局KOHO、受信機レビュー、神津島ペディ、中波DXの記事
・読んでいてなかなか楽しい雑誌ではあるが、このラジオ中心の路線は82年3月くらいまでである。その後は現在のラジオライフに近く、受信記事はアクションバンドが中心となり、更にはラジオとは全く関係のないハッキング、アングラ、サブカルチャーへと発展して行ったのはご存じの通りである。確かにBCLブームは82年くらいにはかなり下火になっていたので、雑誌として生き残るためには路線を変更せざるを得なかったのだろう。読みながらそんな考察をしたりして、BCLらしい正月であった。