昨年12月のDiaryに書いたのだが、HPを引っ越す際にコンテンツに齟齬が生じ、それを修正する過程で図らずも過去書いたものを読み返すことになった。そして感じたのは、復活して暫くはBCLに対して大変な情熱を持って取り組んでいたことである。復活当時はまだ30代後半だった。丁度次女が生まれた頃であり、私自身も育児に無縁ではなかった。また仕事の方も丁度大変ややこしいプロジェクトを担当しており、毎晩終電で帰る日々であった。ストレスも多く健康すら損なうような大変な日々であったが、帰宅後は毎晩のようにラジオに向かっていた。更には受信機を次々購入したりアンテナや周辺機器を工作したり、受信レポートを書いたり、クラブの会誌に投稿したりミーティングに出席したりしていた。20年ぶりに味わうBCLの楽しみに夢中になっていたのである。 

気がつけばそんな復活から16年が経過していた。この間に生活スタイルもBCLを取り巻く環境も一変した。前者に関して言えば仕事は忙しいながらも人間らしい生活に戻り、手の掛かる赤ん坊だった次女は早いものでこの春高校生になる。後者に関して言えば情熱を向ける最大の対象であった短波放送が激減してしまっていた。熱中時代を過ぎると自宅で受信機に向かうことはほぼなくなり、月1回程度のペディで聞くのみの生活になっていた。レポートを出すこともどこかの会誌や掲示板に投稿することも殆ど無く、ミーティングに出席することも無い。まあそれが悪いとは思わないし環境や時代の変化に合わせた取り組み方だと思うが、今回そんな自分に寂しさを感じたのも正直な心境である。あの何か熱病に冒されたかのように夢中になって追い掛ける~そんな体験をもう一度したいのも事実である。

では受信環境は悪化し局数は減少した中で、どのように考えれば情熱を喚起できるのか。その鍵は「失ったものを嘆くのではなく未だあるものや新たに得たものに目を向けること」であり、また「BCLの楽しみを多面的に捉えること」ではないかと私は思う。具体的に例を挙げると、前者は未だある受信対象を追いかけることや、近年登場した画期的な受信機器の性能をフル活用することなどがあろう。後者に関して言えば一人で(或いはネット掲示板でバーチャルに交流しつつ)放送を聞くだけでは簡単に限界に行き着いてしまうが、仲間とリアルな場で語らっていると、聞くという行為以外の新しい楽しみが次々見えてくるということである。

月刊短波ホームページで毎月赤林OMが掲載して下さっているが、ヨーロッパの各局が実施する特別放送は、未だ短波ファンに楽しみを与えてくれている。また中波ならDXを楽しむことはまだまだ可能である。ヨーロッパで中波が消滅し始めているとは言え、日本で楽しむ範囲の東南アジア、南太平洋、北米の局はまだまだ健在だ。但し海外中波DXの受信難易度はそれなりに高いので或いは自宅を出ることも求められるかも知れないが、これはある程度はチョイペで解決する。そして画期的な受信機器はSDRと単一指向性コンパクトアンテナだ。SDRの出現で中波帯は一括丸録りが出来るようになり、電波が届いている全ての局を掘り起こせるようになった。これは1度に1つの周波数しかチェックできなかったレガシー受信機とは最早全く別物と言ってよく、従来ならば聞き逃していたであろう珍局をことごとく確認出来るようになったのである。それからアンテナにしても、昔使用されていたアンテナは1m×1mのループであり、指向性はある方角とその180度反対の2方向に発生してしまうため、目的局の正反対方向の局の混信を排除出来なかった。これが単一方向のみの指向性を持つ、しかも簡単に自作可能なアンテナ~K9AYやフラッグ~が紹介されたことも大きな進歩であった。これらがあれば、まだまだ中波DXは大いに楽しめる筈である。

ところで インターネットについてだが、これはBCLにとって全体としてはマイナスの方向に働いた。短波を含むラジオ放送の存在意義を低下させ、多くの短波放送が廃止に追い込まれた最大の要因と言ってよい。これはメディアとしての利便性を考えるとやむを得ず、時代の趨勢としか言いようがない。我々としてはこのインターネットを自身にとって有効に活用するしか道はないのだが、その意味においてのインターネットの効用は素晴らしいものがある。実際定期的にBCLを扱う雑誌も無くなって久しいし、全国組織も日本短波クラブしかない中で我々趣味人が生きながらえているのは、インターネットのお蔭以外の何物でもない。有志が運営する掲示板があり、また個々人が情報発信するHPやブログがあり、それらが出会いの場となって同好の志が結び付く。そして知り合った後もメールや掲示板、そして最近ではLINEなども使って時間と空間を越えて交流することが出来る。リアルに集まれるとしたら月に1回くらいであろうから、その合間を埋めるコミュニケーション手段としてこれ以上のものはない。海外の同志とこれほど容易に交流出来るのもインターネットのお蔭に他ならず、昔を知るOMさんからすれば大変な恵まれた環境と思うであろう。

もう一点付け加えたいのは、昨年出会った海外のDXerから学んだことである。彼らは3人とも私よりも年長であったが~最年長は1回り以上年長の方である~驚かされたのはその情熱である。深夜であろうと悪天候であろうとペディに出動し、自身の狙いを完遂する。テーマを持って臨み、終了後はしっかりした考察を加えたレポートやログを発表する。そもそも持参するアンテナも自分で何度も試行錯誤を重ねて製作したものである。そんな彼らを見ていて本当に凄いと思ったし、まだまだ自分達も出来るという思いを新たにしたのも事実である。

上述を総括すると、失ったものは少なくないがそれを埋め合わせる恩恵も同等以上にあり、自分はその恩恵に目を向けて行きたいと思う。恵まれたものを数えそれに感謝することによって、復活当初とはまた違ったスタンスになると思うが、この趣味に新たな情熱を注いで行くつもりである。

(Jan.22.2017)