2004年5月2日。私は少年時代からの夢をまたひとつ実現した。それはNDXC(名古屋DXersサークル)を訪問することである。
ブーム当時を知る方には説明の必要もないと思うが、NDXCは我が国DX界の最高峰に位置する、ハイレベルなDXer集団であった。有力DXerが何故名古屋地区に集まっていたのかは分からない。いや、全国各地にハイレベルなDXerは「点」在した筈である。しかしその「点」が「線」「面」になった例は全国でも非常に少ない。しかもその「面」が30年近く続いているのは、名古屋のみと言ってよい。その秘訣を考えるに、何人かの傑出した情熱を持ったDXerが、類稀なるアクティビティで周囲を引っ張ったからではないかと推察する次第である。
少年時代の自分も、NDXCに大いに憧れたし、そんな有力DXerの指導の下でミーティング、ペディションなどの活動ができる同年代のBCLをたまらなく羨ましく思った。そう思ったのは私だけではない筈である。恐らく当時の少年BCLの多くが、NDXCに憧れを抱いたのではないだろうか。そして自分もNDXCに参加したかった。
しかし中学生がたかだか趣味の集まりで名古屋まで行くことを許される訳もなく、夢が夢のままで終わってしまった人が殆どであろう。夏のペディくらいは参加のチャンスもあったかもしれないが、夏休みと言えども部活もあったし、なかなか難しかったのが実情である。
それだけに復活してから「いつかはNDXC」と夢を持ち続けていた。そんな夢が実現するチャンスが訪れたのは、知人DXerHo氏に「オフ会をやるのですが来ませんか?」と誘って頂いた4月のことであった。考えてみると今の時代は、自分にとっては都合の良い時代であるとも言える。要因は2つ:ネットの普及とDXerの数の減少である。ネットがなければHo氏をはじめとしたNDXCの方々との交流もなかったであろう。自分自身HPを公開していたことと、何人かの方と時々ではあるがメール等でやり取りさせて頂いていたので、多少なりとも係わり合いができていたことは幸いなことであった。同様にDXerの数がブーム当時のように多かったら、これまたお声など掛けて頂けなかったであろう。自分など別段特色がある訳ではないので、大勢の中の一人に過ぎない。それでも今の時代はDXerは天然記念物である。全国どこに住んでいても、少ない仲間を大切にしようという気持ちになるものなのだろう。いずれにしても誘って頂いて本当に嬉しく、せっかくのGWだし必ず行こうと瞬間的に心に決めていたのであった。
さて行くと決心してルートを考え始めると、名古屋は決して遠いところではないと気が付く。新横浜~名古屋は新幹線のぞみorひかりでノンストップで1時間30分を切るのである。私の家から新横浜までは電車だと乗り換えが2回あって面倒だが、バイクで行けば30分強で着いてしまうので、名古屋~会場までの所要時間を入れても3時間掛からないのである。これなら(交通費は別にして)時間の問題だけであればいともたやすく参加できる訳である。そう考えるとますます名古屋は近く感じられた。したがって当日は12時過ぎに自宅を出ればよかったので、午前中はプールに泳ぎに行った上、髪の毛を切りに行く余裕まであった。
こうして15時過ぎに国府宮駅に着くとS氏が車で迎えに来て下さっていて、会場まで向かう。会場は着いてみてやっと分かったが、メンバーの知人の方が、ご自宅をこのために開放して下さっているとのことであった。しかもこの知人の方はDXとは全く無関係なのである。場所の確保については同様の企画をやろうと思うと最大の問題になるだけに、驚くやら羨ましいやらであった。到着時点ではALA-1530を2台設置の準備をしていた。そう、このオフ会はただ飲んで騒ぐだけではなく、ちゃんと受信もできるのである。しかも今回の趣向が凄い。「ICOM IC-R9000を複数台集めてワッチする」というものである。とても他地区では考えられない、豪快な企画である。当日はこの他AR-7030が4台、IC-R75、NRD-515、CRF-1、SONYの大昔のBCLラジオ(型番?)、9R-59DSが各1台設置されたが、私の目は中でも9R-59DSに釘付けであった。というかゲストとしてお邪魔した私を歓迎する意味もあって、私が以前から憧れていたこのマシンを準備して下さったとお聞きした。このマシンは本当にDXのための特別仕様であり、フィルタは切れが良く、また驚いたことにフロントパネルの左上の部分が切り抜かれ、ここにデジタル周波数カウンタが埋め込まれていた。このカウンタはどこかで見たことがあるなと思っていたらその通りで、昔のRF-2600のカウンタを流用したとのことであった。いずれにしても9R-59DSでワッチをするのは初めてのことであり、これまた大いに感動モノであった。ハム音がして微妙なDXにはちと厳しいが、それでも18時にはオーストラリアの4QNが良好であり、正時のABCニュースのテーマ音楽が軽快に聞こえていた。9R-59DSでの私のDX初受信である。
さてメンバーだが、これまた豪華かつバラエティに富んだ方々が集結していた。その昔から短波誌で活躍されたOM氏を筆頭に全12名で、別段儀式ばった挨拶もなく宴は自然に始まった。飲むも良し、聞くも良しで、皆宴会場と仮設シャックを行ったり来たりしながら、文字通り自由にこのゴージャスな大人の時間を存分に楽しんでいた。自分も初参加とは言いながらも、そのフレンドリーな雰囲気にすっかりリラックスして楽しませて頂いた。趣味が同じであれば年齢も関係ない。DXという共通言語でいろいろな方と楽しく語らう。そう、やっぱりこの日はワッチはプラスアルファであって、やはり徹底的に語る方に回った。
その中で特に印象に残ったのはA氏の「報道の裏を読む」というお話と、Ha氏の「旧B連創設時の経緯」のお話であった。前者については最近海外で起きた事件を紐解いて、メディアが真実を隠しているが真実はこうだという見解を語っておられ、大変面白かった。自分も報道を鵜呑みにしていたがどこかおかしいと思っていただけに、真実はA氏の見解の通りであろうと真剣に聞き入ってしまった。
後者については何故そんな話になったのか忘れてしまったが、こちらも大変面白かった。少年時代は不思議に思わなかったことも、社会人として10数年も仕事をしていると何故?と思うことが沢山あった。氏のお話はその疑問に実に明確に答えてくれていた。「なるほど、そうだったのか!」と思うことだらけであり、これまた聞き入ってしまった。恐らくHa氏や当時の関係者しか知らないこともあったと思われ、これが聞けたことも貴重な体験であった。詳細はここに記す訳にはいかないが、JSWC50年誌ではないが日本のBCL界の歴史として、記録として残しておくべきもののように思う。
さてこの日はとにかく寝るのが勿体無くて、2時半まで起きていた。もっとも興奮してなかなか眠くならなかったというのもあるが・・・。月曜早朝なので通常ならば中波も停波する日だが、この日はGWのため渋滞情報で停まらないようだったので、その後起きていても意味はなさそうだった。そこで一旦リクライニングソファに腰掛けて毛布を掛けて寝入った。
7時過ぎに目が覚めたのでラジオを聞いてみるが、時は既にアフリカにも遅く大したところは聞けない。7時で思い出すのはRAIくらいなので、WRTHで周波数を調べ、昔懐かしいNRD-515で聞いた。そして聞くところもなくなり撤収を開始し、宴会場、シャック、アンテナを片付ける。その後朝食をご馳走になりながら、ネット運営に関するディスカッションになる。部外者でもあるので黙って聞いていたが、なかなか白熱した議論である。しかし白熱はしても、既に信頼関係が十分に出来上がっているから何の心配もないのであろう。この辺りも真似できない伝統と歴史の強さを感じた。
こうして会場を提供して下さったK氏に何度もお礼を言ってその場をあとにし、次に今回は参加できなかったI氏のお宅にお邪魔する。I氏は短波誌でインドネシアのパートで活躍なさった、元インドネシア屋の自分にとっての憧れの方。自分がBCLを復活した際も、未だ続けておられることをご自身のHPで知って、大変懐かしく思ったものである。そんな氏は私がHPを立ち上げた際にはメールを下さって、そこから初めてお付き合い頂けるようになったのである。ヘッドフォンセレクターの作り方やNRD-535のメモリ管理用ソフトウェアの件などいろいろとお世話になっている。今回も事前に挨拶メールを送ったところ、I氏からお借りしたアンテナを返す車に便乗していらっしゃいとお声掛け頂いて、お言葉に甘えてお邪魔することになったのである。
I氏はネットでのお付き合いで伺えるそのままの、誠実な人柄の方であった。驚くのは何と言ってもそのシャックが整然としていることである。自分も散らかっているのは嫌いなので整頓はしているつもりだが、レベルが全く違う。リグが規則正しく配置され、部屋にはチリ一つ落ちていない。4人でお邪魔したのでゆっくり話もできなかったが、顔を拝見し一言二言言葉を交わしたらそれで十分満足できてしまった気がした。しかしI氏は私を喜ばせようと、「ちゃんと置いてありますよ」と書籍「MY BCL LIFE」を印刷したものを見せて下さった。以前メールで「印字しましたよ」とお聞きしていたがその通りだったので、非常に嬉しかった。
I氏宅を辞した後はつかの間であるがG氏との語らい。G氏もかつて短波誌で活躍された中波DXerであり、ネットで知り合えた後に何度かメールでやり取りをさせて頂いた。一度などは酔った勢いで不躾にもMWDXについての質問をメールで送りつけるなどしたこともあった。氏に対する私の印象はバランスの取れた大人の人というものであった。これもネットでのやり取りで持ったものであったが、やはり実際にお会いしてもその印象は裏切られることはない。リアルな会話でも随所にそれを実感した。15分ほどの時間を惜しむようにBCLについて語った。そして名古屋の駅で挨拶をして完全に一人になって新幹線に乗り込んで、名古屋の地を後にした。
憧れのNDXC訪問は、その期待を裏切られることはなかった。期待以上の楽しさと想い出を頂いて、家路につくことが出来た。少年時代の夢は、今や完全に実現されたことを感じる。素晴らしい皆さんと素晴らしい時が過ごせて本当に幸せである。幹事でありまた今回お誘い下さったHo氏、会場を提供し何から何までお世話下さったK氏、他NDXCの皆様に心からの謝意を表明して、本文を終りにする。
(May.5,2004)