今年のハムフェア開催日に合わせて、日本短波クラブ(JSWC)が創立55周年記念企画として、「日本のBCLブーム」と題した座談会を開催した。当時のブームを主導したOM~中でも私に最も影響を与えて下さった板橋聰光氏~が出演なさると聞いて、遂にお会い出来る千歳一遇の機会と小躍りし、昼過ぎに着いたビッグサイトのハムフェア会場を早々と後にし、講演会・座談会会場に向かったのであった。

 出演は板橋氏の他、同じくブームを主導した山田耕嗣氏・赤林隆仁氏、そして石川俊彦氏の4氏であった。そうして大武逞伯氏の司会の下会は始まり、各氏の見解が披露された。「1964年の海外旅行解禁がきっかけであった」、「トランジスタラジオを普及させたいという国策と産業界のニーズ」、「短波放送普及に尽力した日本短波放送(NSB)の努力」、「英語教育の必要性が認識されその学習手段として期待されたため」、「アナログからデジタル技術への谷間を埋めるコンテンツとしてメーカーが仕掛けた」、「安価で高性能なラジオの普及」・・・等々、様々な意見が出された。いずれも当を得た意見であると思う。そしてここでは、75年にこの趣味を開始して80年で一旦去った、まさにブーム世代真っ只中であった私なりの視点でそれを総括してみたいと思う。

 ちなみにお仲間のShinさんもご自身のBlogでこのテーマについて考察なさっていたが、それによれば「深夜放送ブームでラジオが若者文化に」「80年代になると、オーディオやゲーム機で様々なアイテムが出現。放送・ソフトも多様化。音質・ビジュアルともに高品質化が求められ、ノイズ・QSBがつきものの短波・BCLブームは急降下」「日本語放送、国際英語放送と聞き進み行き詰まった(簡単な設備で聞ける局を聞き尽くし、壁に突き当たった)。ベリカード集めに飽きた」という見解が示されていた。これまた当っていると思う。

 私自身もこれと似たテーマについて、かつて別なところで一筆書いたことがある。「何故自分はBCLに惹かれたのか」という趣旨なので、「BCLブームが起こった理由」とは微妙に異なるが。そのときは①海外への憧れ、②科学的探究心~すなわち海の向こうの遠くから何故日本に電波が届くのか、そのことを不思議に思う気持ちとロマン、③機械モノに対する憧れ~カッコいい受信機の普及の3点で総括した。

 JSWC座談会、Shinさん考察、そして以前の私の考察を総合的に判断すると、なんとなく本当の姿が透けて見えるように思われる。仕掛け人はやはり家電メーカーとNSBが中心だったのであろう。ラジオを商品として普及させたいというメーカーと短波リスナーを増やしたいという放送局の意向である。そしてそうした意向が受け入れられる素地が当時の青少年にあったということである。当時テレビは一家にせいぜい1台だったと思うが、ラジオはよりパーソナルで手軽なものであり、そこから深夜放送が発達した。という訳でラジオは当時のトレンディなメディアであったのだ。メーカーは更にラジオが売れるように、深夜放送に次ぐコンテンツを開拓し訴求した。それがBCLだったのだ。BCLラジオ発売の経緯を見ても、このことは裏付けられる。深夜放送が社会的現象になるのは60年代後半から70年代前半で、老舗の「オールナイトニッポン」も67年の開始である。そこで火がついたラジオに対する関心をもっと喚起するためにBCLブームを仕掛けたとすると、時期的には丁度符合する。実際に国産初の本格的なBCLラジオであったソニーICF-5500、5800もそれぞれ72年7月、73年4月の発売である。

 そう考えるとそもそもの仕掛け人は「ソニー」であったという結論になる。そしてそこから付いた火に各社が便乗し、各種メディアがこうした現象をブームとして取り上げ、後追いしたのである。実際ラジオでのBCL番組も74年1月から始まるNSB「ハロージーガム」が最初である。書籍を見ても、いわゆるマニアでなく一般人を対象としたもので古いものは「短波放送入門」(74年12月)、「世界の放送~BCLの全て」(75年6月)であり、以降「世界の放送局ガイド」(同年7月)、「海外放送はキミのもの」(同年8月)、「海外短波放送を聞こう」(同年9月)、「BCLマニュアル」(同年12月)と続く。単行本ではないが、私が目にした最も古いBCL記事は、子供の科学「ラジオを聴いてカードを貰おう」(74年9月)である。日本BCL連盟の誕生は76年1月であり、ブームを後追いして出来た団体であったことが分かる。だから書籍やラジオ番組、そしてB連はそれぞれブームの一翼を担った「プレーヤー」であった訳で、これらが「火付け役」ではなかったことが理解できる。

 ということで結論を出していくと、①このBCLブームのシナリオを描いたのはソニーを中心とした家電メーカー及びNSBであった、②これにその他のメーカーや出版社が便乗・後追いし、BCLブームを盛り上げていった、③深夜放送等ラジオブームが先行する中で、BCLは新たなコンテンツとして自然に受け入れられた・・・ということになろうか。更に言えば当時の短波放送には「先進性」があったことも大きかったと思われる。最先端のメディアに触れているのだという誇りと満足感が、少なからず本人達にあった気がする。その意味では「懐古嗜好」以外において、この趣味が再び脚光を浴びることは残念ながらあり得ない。性別的には99%男子であったことを考えると純粋に趣味として普及したものであり、「英語学習」を目的とするという説は弱い気がする。

 ブームの衰退ということについては概ね意見は一致するであろう。一時的に楽しんだが、リスニング派は一通り日本語放送と主要英語放送を受信してベリカードを得て飽きた、DX派も受信困難な局の受信に限界を感じて、或いはもっと楽で面白いことが沢山世の中に出現して離れていった・・・というあたりが真相であろう。

 こんな感じで自分なりに結論を出してみてスッキリした。そして考察している過程は、とても楽しい時間であった。色々とヒントを下さった皆様にこの場をお借りして御礼申し上げるとともに、「ブームを考察する」遊びを終えたいと思う。

(Dec.31,2007)