2010年はBCLを復活してちょうど10年を迎えた年であった。10年生として~更に言えば少年時代の5年も通算すると15年生として~一段レベルの高いDXerに脱皮したいというのが、今年の抱負でもあったのだが、実際はどうだったのか?重点活動領域は①ペディ、②VHF-DX、③DXer諸氏との交流である。

まずペディに関しては毎月とはいかなかったが、それでもこの1年で7回行なった。行くまでの面倒臭さ、家族への遠慮、他にもやりたいことが満載であったことなどが背景としてあるが、昨年は何回か行なった初夏の南狙いのペディを活発に出来なかったことは残念だ。暑さに負けたという側面もあるが・・・そう、今年はあまりにも暑かったので、6~8月のBCL活動は例年以上に低調であった。TP向けペディはそこそこ楽しんだが、昨年・一昨年に比べると、難易度の高い局の受信頻度は低下したように思う。これは私だけでなく、いろんな方のペディの実績を聞く範囲で判断すると、全般にコンディションが落ちたようである。いよいよ黒点数が上昇してきたことの表れのように感じる。月曜早朝狙いで1月と3月に実施した茅ケ崎ペディは、(早朝ではないが)フィリピン局を多数、また早朝ではAUS(特にABC)各局、そして今や珍局の推定RTHKも受信することが出来た。南方面がそこそこ受信できるロケとして、茅ケ崎では今後もやりたかったのだが、残念ながら神奈川県の財政難により2011年3月末で閉鎖の報が入りガッカリしている。まあクローズになった場合にはこうしようという代案はあるので、これは何とかなると思うが・・・。・

次にVHF-DXは5月に初めてフィリピンFM局を受信することが出来た。IDが出ず局名は分からなかったが、我が家でも本当にフィリピンFMが入ることが確かめられた。今年お仲間はグアムも受信していたし、もうちょい時間が取れればもっと楽しめそうだが・・・。この他の日もEスポがオープンすれば時々聞いていた。しかし入るのはもっぱら中国ばかりで段々飽きてくるし、一斉にオープンするのに受信機は一台というのが最早もどかしい。これは帯域一括記録の便利さを知ってしまったPERSEUSの負の影響と言えるかもしれない。いずれにしても昼間にしか聞けないというのは大変な不利であり、正直少々食傷気味になりつつある。

DXerとの交流は今年も楽しんだ。ご近所IOMとは30歳の年齢差を超えて友達になれたと思うし、その他の旧知の方々とも折に触れて飲み語った。海外のDXerに関しては非常に残念な出来事があった。米国のDXer John Bryant氏の不慮の事故による逝去である。氏とは2005年に知り合い、これまで何度かメールを交換してきた。日本に造詣の深い氏がオールナイトニッポンを研究したレポートを作成した際はリバイズを依頼され、僭越ながらお手伝いもした。また氏にはDXerのメーリングリストに加えて頂いたりして、数少ない日本における同好の士として可愛がって頂いた。私より2回り上で大学で建築学を教えるアカデミックな仕事をなさっていたが、少なくとも私との交流の中では腰も低くフレンドリーな人であった。いつかは氏に実際に会ってDX談義をすることが私の夢の一つであったのに・・・その夢はあっさり潰えた。悲しい。人生は無常だ。だからこそ億劫がってはいけないし、楽しみを先延ばしにしてはいけないのだ。機会を逸さずに多くの人に会うべきなのだといつも思う。他の海外DXerの何人かとは引き続き交流させて貰っているが、未だにIDの確認とかそういうものが殆どで、まだ共に語る次元に至っていない。そうするための語学学習であり、交流を楽しむ心の余裕、積極的な心が大事なのだろう。面白い人とは洋の東西を問わず交流したいというのは私の変わらぬ願いだし、必ず実現させるつもりだ。

この他に今年思い出に残った出来事は、三才ブックス「BCLライフ2010」に寄稿したことである。「チョイペのススメ」という私の好きな、私の特徴が出るテーマで書かせて貰った。残念ながら反響は1件のみだが。この寄稿はある意味私自身の仲間のリクルーティング活動の一環でもあった。実際に本になると、意外とページ数が少なかった(4ページ)。反省としてはもう少し具体的に書くべきであったということと、(検証当日はコンディションが良くなかったが)自宅とチョイペとの受信成果において顕著な差異が出るまで複数回チャレンジすれば良かったということである。もしまたこうした機会に恵まれるなら、何か書かせて頂きたいとは思う。

もうひとつ面白かったのはDXフリーマーケットへの参加である。知人DXerM氏の影響で近隣の町で開催されたフリマに参加し、別に要りもしないのにCBトランシーバーやBCLラジオ(サンヨーRP-7700)を買ったりした。いずれも居酒屋の飲み代程度の金額だったし面白かった。この面白さに味をしめて2回目はT師を誘って自分も出店した。自分にとっては最早不要なものを並べてみたが、いくつかは実際に売れた。ここでは知人に会えて話したり新しい仲間を紹介して貰ったりもしたので、そういう意味でも結構面白かった。また引き続き楽しんでみたいジャンルである。

さて2011年の展望だが、これはここまで記した2010年総括を踏まえたものになる。すなわちこれは当面~或いはこれからもずっと続くかも知れないが~「ペディ」と「DXerとの交流」という2大課題である。実際私については何か新しい海外局を受信していなければそれはBCLを続けているとは言えないのだ。自宅ではDX局を受信することが非常に難しくなってしまった今となっては、最早ペディに活路を見出すしかないのである。なので真夏の7,8月を除いて毎月計画的に実施したい。

DXerとの交流については、積極的にその機会を求めて行こう。前述のBryant氏の例を挙げるまでもなく人生は無常なのだ。単なる飲み仲間もありだが、出来れば「現在」に共通する活動を一緒に行いたい。これは経験的に、そうしたものがないと単発的に終わってしまう傾向があるからである。自分が巻き込むのか相手に巻き込まれるかは不問だが、その点を常に意識しながらお付き合いしてみたい。

この他取り組んでみたい課題を考えていた時に、突如「近隣諸国中波DX」というものに思い至った。これは自宅でも出来るDXである。これまで「近隣諸国の混信で・・・」とDXの「邪魔者」のように考えてきたものを、コペルニクス的転回で一転「ターゲット」にするのである。実際に自分が韓国、中国、台湾などの隣国の中波局にどのくらい通じているかというと甚だ疑問だ。何故足元の局を楽しみの対象として考えてみなかったのだろうか?こう自問した時近隣諸国DXは自分の個人的な興味関心となった。また欧米のDXerはこれら隣国も含めた極東エリアの放送に大きな関心を持っている。メーリングリストを通じての照会も非常に多い。それについて同じゾーンに住んでいる我々が何もアドバイス出来ないのは、何か果たすべき責任を果たしていないような気がしていた。他人のためにと思うのでは続かないので、まずは自分の楽しみとして追ってみよう。近しい方数人に「近隣諸国DX」の話をしたところ何人かの方からは共感を頂くことができ、ご一緒にやってやって頂けそうである。図らずも前述の「現在に共通する活動」を見つけることが出来た。なのでやる気を見せるべく、資料を集めたりして早速準備活動に入っている。海外局受信1,000局が目標なので(現時点で761局)、こちらの目標達成にも近づくことができそうだ。

(Dec.30,2010)